こんにちは。
現役MRのリョウタです。
ふと思ったことなんですが、日本では「年収」という言葉をよく使います。
これって、日本のサラリーマンに終身雇用の意識が高いことに起因しているから何じゃないかと思います。
しかし、終身雇用制度は日本でもとうとう崩壊したと言っても良いんじゃないかと思っています。
なので、年収という概念も変えていかなければいけないんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。
どういうことか、共有していきます。
年収という概念を捨てるべき
ご存知のとおり、日本は1950年代からの高度経済成長期で爆発的な経済成長をしました。
日本のものづくりというのは世界から尊敬され、1979年にジャパン・アズ・ナンバーワンという本が出版され、国内で大ベストセラーになるなど、1990年のバブル崩壊までが日本経済の全盛期でした。
その頃は経済成長に加えて人口増加、しかも物不足ということで、とにかく労働力に対する需要は高かったですから、日本に終身雇用制度が定着したのではないかと言われています。
まあ、「御恩と奉公」のように、武士道を重んじる日本人の性格にも合っていたんだと思います。
それで、終身雇用制度がどこの会社でもあたりまえにあるから、生涯獲得賃金よりも年あたりに貰えるお金の方が気になるということですよね。
アメリカなどのように解雇があたりまえで、来年どころか来月も同じ会社で働いていられるかどうかわからなかったら、年あたりの収入などはそこまで意識しないんじゃないでしょうか。
それに、今でこそ日本も徐々に格差が拡がってきていますが、経済成長期には格差が小さく、今ほど業種や会社によって年収が大きく変わらなかったということもあると思います。
毎年毎年600万円ずつ貰えて40年間勤めることができる会社よりも、年収3,000万円で10年間しか勤められない会社の方がトータルでは賃金が高いです。
日本では年収3,000万円のサラリーマンはほとんどいませんが、アメリカでは金融業界やIT業界でそれなりにいます。
日本でもこれからどんどんと格差が拡がっていくので、年収という概念を重要視したままでいるといけないよな〜と思います。
MRは特に、多くの人が年収1,000万円くらいあります。
何故かわかりませんが、日本で年収1,000万円というと一つの目標というか、満足感のある水準になっています。
本当は税金や社会保険料は増額され放題で、一番搾取されているのが年収1,000万円なんですけどね。
ただ、これからの社会の変化によって、年収1,000万円のまま終身雇用しえもらえるかというと、あまり自信がないという方もいるんじゃないでしょうか。
年収1,000万円でも、途中でリストラされてしまったら、生涯獲得賃金は年収500万円で定年まで働いた人よりも少なくなってしまうかもしれないんです。
10年後、いや5年後の未来すらどうなっているかわからないくらい、社会の変化が早くなっているから、「年収」なんていう、定年退職するまで給料をもらい続けられることを前提とした概念は捨てるべきじゃないかと思います。
アメリカのシリコンバレーでは、年収が3,000万円や4,000万円の人がザラにいるそうですが、いつ解雇されてもおかしくないので、とにかく10年くらい頑張って働いて1億円〜2億円くらいの資産を構築できたら会社をやめて田舎でのんびり暮らす「FIRE」が流行しています。
日本でも、年収の高い職業の雇用は不安定になってきていますし、このように考える必要が出てきているんじゃないかと思っています。
まとめ
年収が1,000万円というのはたいした意味はありません。
児童手当がなくなるとか、地方によっては子供の医療費無料の対象外になるとか、控除が受けられなくなるとか、そういうデメリットを受ける水準だというくらいです。
それよりも、どれだけ金融資産があるかとか、人生でどれだけ稼げるかについて考えるほうが重要です。
「年収1,000万円を目指す!」なんて考えている方がいたら、会社の給料だけで目指すのではなくて、いろんな副業などで収入を得て達成させるほうがいいかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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